地下鉄神谷町駅の北東,徒歩3分。本寺の天徳寺が江戸城内の紅葉山から虎ノ門に移転した慶長16年(1611年)に智相院として創建されたのに始まる。その後幾多の変遷を経て昭和3年(1928年)に随養院と合併し、智相山随教寺興昭院として現在の姿になった。 境内の小さな堂には石造閻魔王像が安置されている。この閻魔はかなり風化しているが、江戸時代には眼病に霊験あらたかな「こんにゃく閻魔」と呼ばれて信仰を集めた。願いが成就した際にこんにゃくを供える風習があったとされ、当時の民間信仰を知ることができる貴重な像として港区の有形民俗文化財に指定されている。