地下鉄白金高輪駅の南、徒歩6分。もとは芝西久保丸山竜土(現在の港区愛宕山近辺)にあった薬師堂を全梁禅師が文禄3年(1594年)に寺として創建したのに始まり、承応2年(1653年)当地へ移転したと言われる。 短い期間ではあったが、幕末の一時期にはプロイセンの公使の宿舎になったことが知られている。その時の宿舎として使われた現在の本堂は弘化年間の火事の後に再建されたもので、瓦屋根が美しい。 墓所には佐賀藩鍋島家、肥前鹿島藩鍋島家、高家畠山家の墓がある。