白鬚橋の西、明治通りから路地を一つ南へ入ったところにある。もとは総泉寺があったところで、寺は関東大震災で罹災したため、昭和3年(1928年)に板橋区小豆沢に移って再興された。寺が移転した後、墓所だけが残された。 角塔状の墓石は築地塀の中の敷地ほぼ中央にあり、後方に従僕福助の墓がある。墓は昭和18年(1943年)に国の史跡に指定された。 平賀源内は江戸中期の科学者、戯作者、画家として博学多識の人であったが、誤って殺傷事件を起こし、安永8年(1779年)に牢内で病死して総泉寺に葬られた。医療用の摩擦起電機エレキテルの製作で特に有名。