JR日暮里駅の南西、徒歩5分。寛永元年(1624年)、日安尼が開基となって現在地に創建された。 当初は日蓮宗の不受不施派に属しており、感應寺(現天王寺)九ヵ院の中でも唯一寺号を有する寺院であったが、元禄11年(1698年)不受不施の禁令により、時の住職であった妙用比丘尼は入牢を命じられたのち配流、翌年感應寺とともに天台宗に改められたといわれる。 墓地には明治時代に明六社を組織して啓蒙思想の普及に務めた教育家中村正直の墓があり、都の旧跡に指定されている。 (注)了院寺の「院」は正しくは、「にんべん」に「完」であるが、JISにはこの文字がないため、「院」で代用した。