JR日暮里駅の南、徒歩10分。慶長16年(1611年)、神田北寺町に、権大僧都慶賢法印によって創建され、慶安元年(1648年)現在地に移転した。 その後何度か火災などで堂宇を焼失したが、戦災による被災は免れた。平成元年(1989年)以降、山門の再建や本堂・客殿などの増改築が行われて現在の姿になった。 明治31年(1898年)の美術学校の事件「美校騒動」の際、総辞職した教授たちが決起のためこの寺に集合したという歴史がある。 墓地には彫刻家戸張孤雁や歴算家山路家四代の墓がある。