地下鉄銀座線浅草駅の北西,徒歩6分。浅草寺境内の西側の一画にあり、江戸時代には「奥山」と呼ばれていた一帯。別に山があるわけではなく、水茶屋が立ち並び、大道芸人や見世物小屋など江戸随一の庶民の娯楽の場としてにぎわっていたところ。 明治になって寺地は浅草公園となり、盛り場は「六区」に移って奥山の名は消えたが、その後整備されて新奥山と呼ばれるようになった。 区域内には瓜生岩子女史の銅像ほか、喜劇俳優の曾我廼家五九郎の顕彰碑、三匠句碑、映画弁士塚、戸田茂睡墓、喜劇人の碑、石井漠「山を登る」記念碑など、浅草の文化や娯楽を支えた人びとを記念するさまざまな碑が建っている。