都営地下鉄森下駅の北西、徒歩7分。この地で開拓と海苔の製造に従事していた小林冶郎右衛門が開基となり、増上寺の信誉英松和尚を開山として、慶長11年(1606年)に創建したと伝えられる。 増上寺の末寺で、江戸時代には寺子屋を開くなど地域の教育にも貢献、明治時代後期に住職となった渡辺海旭は、旧制芝中学校(現・芝中学校・高等学校)の校長を務めたり、セツルメント運動になどで活躍したこと知られている。 現在のモダンな外観の本堂は、平成7年(1995年)の建築。墓所には歌舞伎関係者の墓が多い。