地下鉄東西線木場駅の南、徒歩3分。元禄13年(1700年)、弁財天を祭って社殿を造営したのがはじまりで、江戸時代には洲崎弁天社と呼ばれていた。当時、周辺一帯は海岸で、海難除けの神社として漁民たちの信仰が厚かったといわれる。第二次世界大戦時の空襲で被害を受け、戦後現在の姿に復興された。 境内には、「波除碑(なみよけのひ)」がある。これは、寛政3年(1791年)に高潮により多数の死者を出したため、幕府が洲崎弁天社の西を空き地にしてその境界に建てた碑のひとつ。その後この洲崎神社に移されたもので、江戸の歴史を今に伝えている。