JR千駄ヶ谷駅の南、徒歩12分。江戸時代には格式の高い寺であり、周囲の風景が日暮里に似ているため新日暮里(しんひぐらしのさと)とも呼ばれ、庭園は江戸名所の一つに数えられるほど有名であった。 しかし、寺は明治維新とその後の大火などによって衰微した。さらに昭和20年(1945年)の空襲で堂宇を焼失し、昭和39年(1964年)の東京オリンピックの際の道路建設によって墓地が嵩上げされるなど、寺の景観は大きく変わった。 墓地はトンネルの上にあり、現在の本堂や書院は昭和44年(1969年)の再建。