JR上中里駅の南、徒歩3分。神仏習合の時代には平塚神社の別当寺だった寺で、道路をはさんで平塚神社の東に位置している。 江戸時代に検校の山川城官貞久が将軍家光の病気平癒を平塚神社に祈願して快癒したため、家光から五十石の朱印地を寄進されて寺を再興したと伝えられる。 墓地には徳川将軍家の御典医だった多紀桂山一族の墓があり、東京都の史跡に指定されている。