JR日暮里駅の北西すぐ。太田道灌の嫡孫資高が父資康の菩提を弔うために江戸城平河口に寺を建立したのが始まりと伝えられる。その後何度かの移転を経て,宝永6年(1709年)に現在地に移転した。 寺は台地の上にあり,月見の名所でもあったため月見寺とも呼ばれた。江戸末期の幕臣永井尚志や儒者市河寛斎の墓がある。 また、境内には次のふたつの句碑がある。 「ほっと月がある 東京に来ている」 山頭火 「陽炎(かげろう)や道灌どのの物見塚」 一茶