JR日暮里駅の南東、徒歩3分。長享元年(1487年)、尊重院日嘉上人によって開創されたと伝えられる古刹。天和2年(1682年)、甲府藩藩主徳川綱重の側室お保良の方の老女日安尼が廃寺状態だった当寺を中興したと言われる。 お保良の方は、綱重との間に男子を設け、この男子が第6代将軍となった徳川家宣である。お保良の方は遺言により没後当寺に葬られた。家宣の弟の松平清武は当寺に隠棲し、家宣がたびたび訪れていたことから「将軍家ゆかりの寺」となった。 上野戦争では、彰義隊の屯所となった。 墓所には名横綱双葉山や第55代内閣総理大臣石橋湛山の墓などがある。また安土桃山時代の作と伝えられる不二大黒天像は多くの人々に信仰されている。