東武伊勢崎線竹ノ塚駅の南,徒歩15分。天喜4年(1056年),源頼義・義家父子が前九年の役で奥州征討に向かう途中この地で野武士の一団と戦闘になり,苦戦ののちに勝利を収めた。そのあと寺を創建し,戦闘は6月の炎天下で行われたため,村名を六月村,寺名を炎天寺と名づけたと伝えられる。 俳人小林一茶はこの付近をよく歩き,「蝉なくや六月村の炎天寺」「やせ蛙負けるな一茶是にあり」などの句を詠んだといわれ,境内にはこれらの句碑がある。