JR北千住駅の南西、徒歩7分。元弘2年(1332年)、秀天上人を開山として創建されたと伝えられ、もと吉祥院の末寺で、白幡八幡神社の別当寺であったといわれる。 墓所には明治維新の際の戊辰戦争にに千住から加わって戦死した人たちを供養する碑が建っている。また、ほかに川魚料理人たちが建てた包丁塚の碑や千住宿の遊女を供養する無縁塔、千住宿に関わりのあった人たちの墓など、江戸時代から明治時代にかけての歴史を偲ばせるものが多い。