善立寺
東武伊勢崎線梅島駅の南、徒歩17分。応仁元年(1467年)、本是院日護が三河安城に創建したのに始まる。
その後岡崎へ移転し、徳川家康の江戸入府に随伴して天正19年(1592年)に江戸内幸町へ移転した。さらに江戸下谷新寺町へ移転し、塔頭10以上を有する大寺となった。江戸時代には、身延山久遠寺末触頭で、谷中瑞輪寺、宗延寺と並び日蓮宗(旧法華宗)江戸三大触頭の一つにあげられた名刹であった。
関東大震災や昭和20年の空襲で被災し、昭和26年(1951年)に現在地へ移転した。
境内は広々としており、正面に本堂、その両側に三十三間堂がある。近代的なたたずまいの本堂は平成14年(2002年)の建築。
(注) 「触頭(ふれがしら)」とは、江戸時代に、寺社奉行から出る命令・交渉のことをつかさどった寺院。(『広辞苑』)
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