JR三鷹駅の南,徒歩15分。明暦3年(1657年)の振袖火事(明暦の大火)の後、神田連雀町の一部の住民が替え地としてこの地を与えられて新田を開発することとなり、この地に移り住んだ。そのころに幕府から寺社の建立を許可されて禅林寺とともに創建されたのに始まる(創建年代については諸説がある)。 以後旧下連雀村の鎮守として信仰を集めてきた。その後、明治の神仏分離によって禅林寺と分離し、現在の姿になった。 一の鳥居、二の鳥居をくぐった参道のかなり奥まったところに社殿がある。境内には江戸時代の石灯籠や力石などが残されている。 →三鷹・吉祥寺略図