JR国分寺駅の南西,徒歩約15分。現在は礎石が残り,碑が立っているだけだが,ここは天平年間に聖武天皇の勅願によって,五穀豊穣,国家鎮護のために国ごとに建立された国分寺のひとつ。 当時は諸国の国分寺の中でも最大の寺域であったが,1333(元弘3)年,新田義貞と北条泰家との戦いの際に伽藍が消失したといわれている。